福岡地方裁判所田川支部 昭和55年(ワ)34号 判決 1989年8月17日
原告 松崎末夫
被告 国
右代表者法務大臣 後藤正夫
右指定代理人 金子順一
<ほか九名>
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は原告に対し金四九四五万円及びこれに対する昭和五五年三月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 右1につき仮執行の宣言
二 被告
1 主文同旨
2 かりに被告が敗訴し仮執行の宣言を付される場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
被告国は、全国に国有林を所有し、林野庁、営林局、営林署という組織体系のもとに、労働者を雇用して、造林、伐採等の林業経営並びに事業を営んでいる。
原告(大正元年九月二〇日生)は、昭和三三年五月、直方営林署に作業員として採用され、昭和五三年一二月二五日退職したものであるが、その間の昭和三九年四月から昭和四四年一二月までの期間、伐木造材手としてチェンソーを操作し、右操作による振動障害のため身体の損傷を受け、退職前の昭和五一年三月三一日、「白ろう病」として職業病の認定を受けたものである。
2 被告の責任
使用者が、その事業遂行のため、被用者に対し、機械を提供してこれを操作させ、その労務の提供を受けるものである場合、その機械はこれを操作することにより、操作する者の身心に損傷を与える危険のない性能あることを要するのはもちろんのこと、ただそれのみにとどまらず、当該機械を操作させるにつき、これを操作する者の生命、身体、健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものであり、このことは、使用者と被用者との間の雇用契約の内容として、または当該契約上の付随義務として使用者において負担すべきものであることは当然である。
しかるところ、昭和三四年末、長野営林局坂下営林署管内の国有林労働者の間に、チェンソー使用による手指の白ろう現象が現われ顕在化した。さらに昭和三五年二月、農林省林業試験場経営部が発表した「チェンソー作業のアンケート調査について」でも明らかなように、全国一二の営林局から総て、しびれ、関節痛、筋肉痛の訴え者があり、蒼白現象も、大阪、名古屋、青森、函館、北見の営林局で発現していた。従って、遅くとも、被告国は、昭和三五年二月時点においては、チェンソー使用による振動障害発生の危険性を予見していたか、若しくは予見が可能であった。
国有林で働く労働者によって組織され、労働条件の維持、改善を目指す全林野労働組合(以下全林野という。)は、全国各地で当局に対し、調査要求、職業病認定要求、治療要求、配置転換要求、振動工具の使用時間の規制要求等の諸要求活動を展開した。しかるに、林野庁当局はこれらの要求を真面目にとりあげようとしなかった。
労働省が、労働基準法施行規則三五条一一号の解釈に、チェンソー等林業に使用する振動機械を含めることとし、振動障害を業務上の疾病として取扱うようになったのは、昭和四〇年五月二八日である。一方、人事院が人事院規則一六―〇第一〇条別表の一の番号四四を改正し、振動障害を含ませることとし、職業病と指定したのは、昭和四一年七月である。
しかるに、林野庁当局は、チェンソー等の振動機械の導入により振動障害が発生し、昭和四三年末までに国有林労働者で四八八名の認定患者があり、昭和四四年中に五五八名の認定患者を出したにもかかわらず、何らチェンソー使用規制措置をとらず、患者の発生を放置し続けたため、全林野が昭和四四年一二月五日全山ストライキをもって、林野庁当局の振動障害に対する態度への抗議と、その要求を貫徹することを決定したので、やっと重い腰を上げ、同月六日の団体交渉によって始めて「振動障害に関する協定」を締結し、「イ、振動機械の使用を一日二時間以内とし、週五日以内、及び月四〇時間を限度とし、連続操作日数は三日をこえないものとする。ロ、連続操作時間は、チェンソー一〇分、刈払機三〇分を基準とする。」等の使用規制に踏み切ったものである。
原告は、昭和三九年四月から昭和四四年一二月までの間チェンソーを操作したものであるが、その間、直方営林局当局が、チェンソー使用について振動病発生予防のため、何らの措置をとらなかったことは、前記林野庁当局の対応から明白である。
被告国が、チェンソー等による振動病発生を認識し、または予見すべきであった昭和三五年以降直ちにチェンソーの使用規制の措置をとっておけば、原告は罹患を免れたか若しくは軽度の症状に終ったことは明らかである。よって、被告国は債務不履行責任を免れない。
3 原告の損害
原告は、レイノー現象、両手・腕のしびれ、両肩・両手・頭の痛み、腕・手・指のこわばり、知覚鈍麻、末梢循環機能低下、聴力低下、発汗亢進、性欲減等、様々な後遺障害に悩まされている。原告の損害は、身体的、精神的苦痛にとどまらず、夫婦生活、家庭生活、社会生活に耐え難い苦痛を及ぼしている。よって次のとおり請求する。
(1) 原告は、普通であれば、労災保険として一日あたりの給与六一〇四円の六〇パーセント三六六二円の給付を受けられるのに、直方営林署が保険料雇用者全額負担の義務を怠ったため、右保険金の給付を受けられなくなり、結局、退職した日である昭和五三年一二月二五日から一〇か年分の損害は一三一八万三二〇〇円となる(毎月三〇日分一〇万九八六〇円、一年分一三一万八三二〇円)。
妻の扶養料として、一か月三八〇〇円、一か年分四万五六〇四円、一〇か年分四五万六〇四〇円を要する。
温泉治療費(入院)として、一日あたり一万円、一か年分三六五万円、一〇か年分三六五〇万円要するが、六か月余り入院、六か月足らず通院するとして、二〇八一万〇七六〇円要する。
以上合計三四四五万五一二〇円のうち三四四五万円を請求する。
(2) 慰謝料は一五〇〇万円が相当である。
4 結語
よって原告は被告に対し損害金四九四五万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五五年三月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は、原告がチェンソーの操作による振動障害のため身体の損傷を受けたことを除き、全部認める。
原告は、右身体の損傷の具体的内容として、請求原因3において、「レイノー現象、両手・腕のしびれ、両肩・両手・頭の痛み、腕・手・指のこわばり、知覚鈍麻、末梢循環機能低下、聴力低下、発汗亢進、性欲減等、様々な後遺障害に悩まされている。」として広範な全身的症状を挙げ、振動障害があたかも重篤なものであるが如く主張しているが、チェンソー等の使用による局所振動に基づいて発症する振動障害は、原告の主張するようないわゆる全身に障害を及ぼすものではなく、手指のレイノー現象(蒼白発作)を主徴とする末梢循環障害、末梢神経障害及び骨・関節系の異常による運動器障害という形で、振動に直接曝露される手や腕に限局して現われる局所障害であり、しかも、その障害の程度も軽く、重大な労働能力の損失や社会生活上の不便をもたらすものではない。
ところで、振動障害として一般に認められている症状と同様の症状を呈する疾病が多数存在していることや加齢によっても振動障害と同様の症状を呈する場合が多いことが医学的に知られている。原告についても、その年齢からいって当然加齢による多くの成人機能の異常が起り得ることは明らかであり、本来鑑別診断を経たうえで、公務上の疾病認定がなされるべきであるが、現実には、原告の症状が真に振動障害によるものか否かの特段の鑑別を経ることなく、公務上の疾病として認定されているのである。すなわち、原告が振動障害と診断された昭和五一年一月当時においては、チェンソー等による振動障害の病態像そのものが医学上判然としない状況にあった。このため、振動障害の認定にあたっては、加齢現象あるいはチェンソー等による振動障害の症状と類似する私傷病による症状との鑑別について特に留意されることなく、チェンソー使用者に特段の私傷病の素因などが認められない限り、チェンソー使用者の訴える障害は振動障害による症状であると認定されていたのが実情であった。従って、振動障害として疑問のあるものについても、振動障害として認定を行った可能性が極めて強いといえるのである。特に、昭和四八年からは、レイノー現象発現以前の手指のしびれ、痛み等のいわゆる初期疾状の段階で早期に認定し、治療するよう指導がなされたが、これらの症状は、レイノー現象に比較してさらに多くの一般的疾病に伴って現われる症状であることや振動障害が自律神経系中枢の機能異常による全身的な拡がりを有する疾病であるとする説の影響などもあって鑑別はさらに困難となった。加えて、振動障害の診断方法が客観性に乏しいこと(例えば、検査項目のうち痛覚、振動覚、聴力の測定は被検者自身からの聞き取りによらざるを得ないため、被検者のし意が入る余地があり、握力、タッピング、ピンチ力といった運動機能検査についても被検者の手加減等により検査値が大きく左右され、また、客観的な検査方法とされている皮膚温にしても測定場所における環境条件や測定時間などによって著しく測定結果が異なる等の問題があること)も、あいまって、振動障害か否かの確定やその障害の程度の判断は、診断する医師により異なる場合が必ずしも少なくなかったのである。そのため医師によっては、簡単に振動障害と判断した例があることも否定できない事実なのである。このような状況の中で、被告としては、振動障害の早期認定、早期治療を行うことが望ましいとの観点から、疑わしいものであっても医師が振動病と診断した者については、まず公務上の疾病として認定を行い、治療等必要な措置を講じるなど振動障害の予防、治療のための諸対策について最善の努力を傾注してきたのである。
ところで、原告のチェンソーの使用歴は、昭和三九年から昭和四四年までの六年間であるが、原告が毎年八ないし九か月間雇用の定期作業員であったことや雇用期間中においても週休日、作業休日等の作業休止日があったほか、チェンソーを使用しない作業への従事あるいは交替でチェンソーを使用していたこと等からすれば、原告のチェンソー使用日数等が振動障害を発生させる程多かったとはいえず、しかも、原告は、昭和四一年の事業開始時より、ハンドルを改良し振動加速度を三G程度までに低減したチェンソーを使用していたのであるから、チェンソーの振動によって原告が受けた身体への影響は、極めて少なかったことは明らかである。そして、原告の振動障害認定経緯をみると、原告は、昭和四九年八月三〇日に「右手の二指いたみ、耳なりがする」と初めて自覚症状を訴え、同年一一月一五日に湯布院厚生年金病院において精密検査を受けて久留米大学の桜井医師に振動病の疑と診断され、さらに昭和五一年一月二二日の同病院における精密検査の結果、同医師によって振動病と診断されている。一般的に職業病は、その原因となった職業から隔離すれば、その症状は軽快するか、少なくとも停止するものであって増悪することはないとされているが、原告は、チェンソー使用停止後五年近く経過してから初めて自覚症状を訴え、その約一年五か月経過した六三歳という高齢になってから振動障害と診断されているのである。ちなみに、原告の自覚症状の推移をみると、昭和四九年八月には「右手二指いたみ、耳なりがする」程度のものであったが、昭和五二年一月には「しびれ」の症状が加わり、さらに同年八月には「両手指三・四・五指の疼痛、両肩部痛、両肘関節痛、耳鳴、頭重感等」と増悪している。すなわち、原告の訴えている諸症状が振動障害によるものであるとするならば、チェンソー使用停止後数年を経て振動障害の病状が発症し、その後増悪したことになるが、これは医学的常識からは到底理解できない不可解な現象であるといわなければならない。
以上述べた諸事情からすれば、原告は振動障害と認定されているものの、原告の症状については職業病というよりは、ほとんど加齢等によるものであるというべきであり、原告の症状は、通常いわゆる老化現象に伴うとされる症状(例えば、性欲減退、不眠、手指・肘・肩の関節障害、筋力低下等)がその大部分を上めていることは疑いのないところである。従って、原告の有する諸症状のほとんどは加齢による老化現象によるものであるというべく、かりに振動障害が認められるとしても、手や腕に限局して現われる極めて軽度な障害にすぎず、これによって日常生活に特に影響を与えるほどの障害は存在しないとみるべきである。
2 請求原因2の事実については、被告が安全配慮義務の履行を怠ったとの原告の主張は争う。
原告の右主張が失当である理由は、別紙昭和五六年一一月六日付被告準備書面(三)記載のとおりである(ただし、原告が撤回した主張に対する反論は除く。)。
3 請求原因3の事実は争う。原告はチェンソー使用による振動障害により被った損害として、慰謝料のほか、普通であれば当然受けられるべきであるとして、労働者災害補償保険法(すなわち、原告のいう労災保険)に基づく各給付金の支払いを求めているが、元国家公務員(定期作業員、非常勤定員外職員)である原告に右保険法に基づく給付が行なわれる余地はない(同法三条二項)から、原告の右損害の主張は失当というほかない。
三 抗弁
かりに被告に安全配慮義務違反があり、かつ、原告がチェンソー使用による振動障害により損害を被ったとしても、右損害に対する補償としては、国家公務員災害補償法に基づく災害補償をもって十分填補されているのである。すなわち、原告は、元国家公務員であり、公務上の災害として認定された原告の振動障害に対する補償として、療養補償、休業補償、休業援護金及び休業特別給の給付を被告から受けており、その額は昭和六二年度末までに一六三六万七二五二円に及んでいるのである。原告は、このように右補償法に基づき、振動障害の発病の日とされた昭和五一年一月二二日以降十分な補償を受けてきており、また、今後原告が症状を訴え、医師が治療の必要性を認める限り、その年齢、就労の有無にかかわらず補償は継続されるのであって、原告が年齢的には就労困難であることや原告の振動障害認定経緯等の事情を考慮すれば、いわば過剰補償といってもよい程の補償を受けているのである。そこで、かりに原告に対し、慰藉すべき精神的苦痛や財産的損害が生じていたとしても、精神的苦痛については、右のような手厚い補償を受けることにより十分慰藉されており、また財産的損害についても、原告に対して行なわれた災害補償をもって十分填補されているのである。
四 抗弁に対する認否
争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1の事実は、原告がチェンソーの操作による振動障害のため身体の損傷を受けたことを除き、当事者間に争いがない。しかるところ、被告は、原告は振動障害と認定されているものの、原告の症状は振動障害によるものというよりは、ほとんど加齢による老化現象によるものであると主張するので、先ずこの点について判断する。
右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
1 振動障害とは、振動工具による振動がその工具を把握する手指、掌、腕に刺激を与えるため、それを継続すると刺激が手指、掌、前腕の内部に及び、血管や神経に影響を与え、血管や血管壁を肥厚させ、そこへ流れてくる血流の循環を悪化させ、しびれ、痛みの原因となり、そういう障害を生じさせた手指等の皮膚表面を蒼白化させたり、肘や上腕骨の一部分等に疼痛、運動制限、変形性関節炎を来たすもので、その蒼白化が白蝋のように見えるので、俗にこれを白ろう病と呼んでいる。この蒼白化現象をレイノー現象と呼び、本来のレイノー現象と現象面で似ているが、振動障害は振動工具類を相当期間使用して後発症するものでレイノー病とは異なること、振動工具が与える各個の振動障害は微小なものであるから、短時間の振動工具の使用によって振動障害が発症するものではなく、相当長期間使用して発症するものであり、発症する振動障害は、手指のレイノー現象(蒼白発作)を主徴とする末梢循環障害、末梢神経障害及び運動器(骨、関節系)障害の三障害に限られ、しかも、右障害が著しく慢性の経過をたどり、特に重症に発展することもまれである。
2 原告は、昭和三年四月から昭和三三年四月まで(すなわち、一五才から四五才まで)民間会社で木材等の切り出し作業に従事していたものであるが、昭和三三年五月直方営林署彦山事業所に採用され、伐木造材手として立木の伐倒、枝払、玉切等に従事するようになった。そして、昭和三九年から昭和四四年まで(すなわち、五一才から五七才まで)チェンソーを使用したが、原告の就業期間は毎年四月から一二月中旬までであったので、一二月下旬から翌年三月までの間にはチェンソーを使用することは全くなかった。しかも、右就業期間中においても週休日、作業休日等の作業休止日があったほか、チェンソーを使用しない作業への従事あるいは交替でチェンソーを使用していたので、原告のチェンソー使用月数、使用総時間は次のとおりであった。
年度 使用月数 使用総時間
昭和三九年 五か月 六六時間
昭和四〇年 三か月 一二三時間
昭和四一年 四か月 九〇時間
昭和四二年 八か月 二一一時間
昭和四三年 七か月 二〇七時間
昭和四四年 九か月 二三〇時間
なお、原告がチェンソーの使用を始めた昭和三九年には、被告の配慮により、既に、チェンソーを使用するに際し耳栓を使うよう定められていたので、原告もチェンソー使用に際し耳栓を使っていた。また、これまた被告の配慮により、昭和四一年からは、チェンソーのハンドルは改良され、振動加速度が三g程度までに低減されたチェンソーが使用されるようになっていた。
しかるところ、原告は、昭和四五年四月一日から土木手として林道の維持補修に従事するようになり、チェンソーを使用することは全くなくなった。ところが、原告は、昭和四九年八月三〇日(当時原告は六一才)初めて振動障害の発症を訴えたが、その時点における原告の訴えは「右手二指の痛み、耳鳴り」のみであり、手指等に蒼白化現象は全くみられず、また「しびれ」の訴えもなかった。原告を診察した医師は、原告が昭和四五年四月以降約四年六か月もチェンソーを使用していないこともあり、原告に振動障害が発症しているということに疑問を抱き、専門医の精密検査を要すると判断した。そこで原告が昭和四九年一一月一五日湯布院厚生年金病院において桜井医師の精密検査を受けたところ、桜井医師は振動病の疑いがあり、勤務現状のまま経過を観察する必要があると診断した。その後の昭和五一年一月二二日、原告は右病院において右医師の精密検査を受け、右医師によりチェンソー使用による振動病と診断された。かくして、原告は、同年三月五日から添田町の宮城病院で治療を受け始め、同月三一日、チェンソー使用により「レイノー症候群、末梢神経炎、両肘関節腱周囲炎、両肩関節周囲炎」に罹患したとして、公務災害の認定を受けた。そして、原告は同年八月一九日湯布院厚生年金病院に入院し、同年一二月九日退院したが、退院に際しての、右病院の万江医師の所見によると、退院後の原告については、「入院不要、看護不要、就業可能、治ゆ不明、今後は週一回管理医の診察を要する。」とのことであった。しかし、原告は、昭和五二年四月二一日再び右病院に入院し、同年八月一八日退院したが、退院に際し、右病院の白川医師も、退院後の原告について、「入院不要、看護不要、就業可能、今後は週一回管理医の診察を要する。」との見解を述べた。その後、原告は、同年八月二六日から昭和五三年五月頃まで前記宮城病院に、週一回あるいは二回(昭和五三年三月は毎日)通院したが、同年一二月二五日(当時原告は六六才であった。)雇用期間満了により直方営林署彦山事業所を退職した。その間の同年一一月二七日、原告は久留米大学医学部高松医師の精密検査を受けたが、右医師は、昭和五四年二月五日、原告の症状につき、末梢循環機能低下、末梢感覚鈍麻が強いので再入院を要するとの判断を下した。そこで、直方営林署は、同年三月八日、原告を湯布院厚生年金病院に入院させることを決定した。これに対し、原告は、右営林署が原告を再雇用するなら入院してもよいと応答したが、右営林署が原告の再雇用を断わったことから、原告としては入院中ただ薬を飲んで体操するだけだから入院の必要性はないと思っていたこともあり、湯布院厚生年金病院への入院を拒否した。その後の同年四月一一日、湯布院厚生年金病院において、原告は、山田医師の追跡調査を受けたが、その際、原告が右医師に対し、症状が昭和五一年頃より悪くなっていると訴えたところ、これに対し右医師は「三年もたてば、加齢現象が出るので、健康な人でもあちこち具合が悪くなる。加齢現象は生理的にどうしても出るものである。これ以上よくなろうと考えず、現状を維持することを目標において楽な気持を持つこと」と説明し、「今後入院してもあまり効果は期待できないと思う。このまま週二回の治療を続けて様子を見る。」ことを告げた。なお、原告の症状は、最初の訴えをした昭和四九年から昭和五三年にかけて手指等に蒼白化現象は全くみられず、また、「しびれ」についても、昭和五二年に手指のしびれを訴えたのみで、その余の年度には全く「しびれ」の訴えはなかった。
4 その後の昭和五六年七月頃から、原告は、宮城病院、雪竹病院、添田町立病院、田川新生病院、柳瀬外科医院等に通院し、病名を両足根管症候群、右膝関節炎、感冒、肝障害、急性肺炎等として治療を受け続けて現在に至っている。原告は昭和六二年七月現在七五才であるが、視力や聴力は普通で、通院日以外は畑仕事で野菜を作ったりしている。
5 なお、木浦康高(昭和六三年一〇月六日現在六三才)は、直方営林署に採用され、運材手としてチェンソーを使用していたものであるが、その使用月数、使用総時間は次のとおりであった。
年度 使用月数 使用総時間
昭和三八年 三か月 七三時間
昭和三九年 九か月 五八六時間
昭和四〇年 九か月 五六八時間
昭和四一年 八か月 五一七時間
昭和四二年 八か月 五六一時間
昭和四三年 七か月 四五九時間
昭和四四年 九か月 四二二時間
昭和四五年 九か月 一五六時間
昭和四六年 九か月 二四〇時間
昭和四七年 九か月 一九七時間
昭和四八年 八か月 一三二時間
昭和四九年 三か月 三八時間
昭和五〇年 三か月 七〇時間
昭和五一年 六か月 六七時間
このように木浦は原告に比し長期間にわたり、しかも昭和三九年から昭和四四年にかけては、使用総時間も極めて多くチェンソーを使用していたのに、振動障害の申請はしていない。
二 以上認定の事実によれば、チェンソー使用により原告に振動障害が発症したということに疑問を抱かざるを得ない。なるほど、原告は振動障害と認定されているが、これは、原告が振動障害と診断された昭和五一年一月当時においては、チェンソー等による振動障害の病態像そのものが医学上判然としない状況にあったことから、振動障害の認定にあたっては、加齢現象あるいはチェンソー等による振動障害の症状と類似する私傷病による症状との鑑別について特に留意されることなく、チェンソー使用者に特段の私傷病の素因などが認められない限り、チェンソー使用者の訴える障害は振動障害による症状であると認定されていたのが実情であったからであろう(右実情は弁論の全趣旨により明らかである。)。そうすると、原告が振動障害と認定されているからといって、原告に振動障害が発症したということはできない。むしろ、前記認定の事実によれば、原告の有する諸症状は加齢による老化現象による可能性が極めて強いというべきである。
三 以上の次第で、原告の有する諸症状がチェンソー使用に起因するものであるとの原告の主張は肯認できず、従って、右症状を前提とする原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。よって原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 桑江好謙)